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神戸地方裁判所 昭和36年(む)11813号 判決

被告人 洪基燮

決  定

(請求人氏名略)

右の者より上訴権回復の請求があつたので当裁判所は次の通り決定する。

主文

請求者の上訴権回復の請求はこれを棄却する。

理由

請求者の請求の要旨は、請求者は昭和三六年九月一二日、当庁に於て懲役一年三月の判決言渡を受け、その翌日神戸拘置所に於て上訴権放棄の書類に所定の捺印をして同放棄書を作成して当裁判所へ提出したが、請求者はこの放棄書の意味を知らず、判決言渡の直後控訴や保釈と関係なく当然手続上必要な書類の一つと思い、知識のないままに押印したもので、上訴権放棄という文字の意味は今でもよく判らない位であり、かくの如き結果は不可抗力にも比すべきことである、又自分が控訴する考えであつたことは弁護人に執行猶予にならなかつたら直ちに控訴保釈を頼んでいたこと、家族にも保釈の手配がしてあつたこと等によつても明らかであるというにある。そこで先づ上訴の提起期間徒過による場合の上訴権回復しか明文を以て認めていないわが刑訴法で本件請求者の場合の如き上訴権放棄の場合も許されるかどうか疑問であるが、当裁判所はそれが上訴権者の責に帰さない場合にはこれを許して差支えなきものと解する。よつてその実体について審案するに請求者が上訴権放棄書を作成した当時の事情について神戸拘置所長宛に照会状を発して調査したるところ、当時請求者は担当看守中本一好より「上訴権放棄か」と尋ねられてこれに「はい」と答えたため、同看守が上訴権放棄申立書用紙を請求者に交付し、上訴権放棄であればこの用紙に署名指印するよう指示したこと、当時請求者は「名前が二つあるからどうしましよう」と尋ねたため、同看守は両方書いておくよう指示しスタンプ台を与え、指印させ、その罪名、判決月日、判決の結果等は同看守が請求者より聴いて書取つた事実が認められ、前記拘置所長からの回答も請求者の自由意思に基いている旨の報告が為されている。又請求者から前記拘置所看守に自分は控訴申立の積りであつたとの申出があつたのは請求者に対する保釈の話が具体化された同年九月一七日であつて、その間数日の余裕がある事実等に鑑みるとき、上訴権の放棄が請求者の自由意思によらなかつたものと認めることはできない。又請求者の本案判決をした当裁判所としては普通の学歴を有し、読書きも出来、自動車運転免許証まで受けたことのある請求者が上訴権放棄の意味を解さなかつたとは認むべくんもない。

刑訴法第三六二条にある「責に帰することができない事由」とはそれが上訴権者又はその代理人の故意又は過失に基かない事由のある場合のことをいうのである(昭和三一年七月四日、最高裁判例参照)が、これを本件に照して鑑みるとき以上のような事情は本人の責に帰さない事由とは認められないので、被告人には不本意であろうが本件請求は容るゝに由なく主文の通り決定する。

(裁判官 菊地博)

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